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春の俳句には竹やたけのこを使ってみよう~松尾芭蕉「たけのこや稚き時の絵のすさび」

こんにちは

鬼糸巻マンタです。 

久しぶりに俳句の会にすこしだけ参加することが出来きました。

自分一人では一回に5句つくるというのだけでも、なかなか出てこないのです。でも句会があるから俳句を作ろうという作り方もあるというものです。

句会に参加しますと、何十名の人の句が一時にぎゅっと集まりますのですごい俳句の集まりができます。

100~200句以上が集まるのですごい俳句の熱があります。

最初のころは「5句」だせるとなっていても、一句しかできなかったから一句だけでも出せればと思ったりして「5句」出せないときもありました。

全然出せないときは、全然俳句が出てこないと、落ち込んだりもしたのですが、別に出せなくても大丈夫というな気持にだんだんとなれたので、出せるときに出そうというスタンスで俳句に取り組んでいます。

今回参加できた句会は4月のオンライン句会です。

句会では「どういう句に出会えるのだろう」と選んでいる瞬間が贅沢な時間だなと感じています。

句会では投句された作品だけを最初に見ます。誰が作者かはヒントしかもらえていないし、解説もありません。俳句だけをみるので、もしかしたらこの句はこういう意味だろうと思っても明後日の方向だったりもします。

しっかりと句会に参加できるときは、それぞれが選んだ良いと思う句についてお話をするという時間が少しあります。自分の中ではあまり考えることができなかった作品について他の方はどんなふうに捉えたのかという解説を聞くのが面白いところです。

句会はスピーディーに進むので集中しないといけません。100から200の句を決められた時間にきっちりと句会の形式に収めるというのはなかなか大変なことですが、毎回きちんと回るのですごいことです。

句会では出来ればあんまり笑わないほうがよくて、いちいち感情を顔にださずに、眉ねをキュッと寄せてポーカーフェイスができると集中している感もでますし、実際に気持ちがそぞろにならずに済むのかなと思います。句会に参加するにふさわしい表情というのはある程度あるようです。無理のない範囲で真面目に。

俳句は俳句どうしが密に隣に並んでいるからといって、本を読むように読んでいくことができません。文章を前から目でおっていっても、その次に現れる文章が続きではないから一つ一つ立ち止まることになります。

俳句はとても短いので一つの句の中にある、ほんの少しの文字の中に折りたたまれているところを谷読みします。国語のプロレベルになってくると漢字や語句を高度に使うことが可能なのです。それが読み取れるかどうかは自分次第。

面白いことがあります、オンラインの句会では句が左から右に書かれています。

スマホで眺めていたり、PC画面を眺めていると句の内容が少し字ずらだけで入ってくるような気がするのですが、気のせいだけなんでしょうか?

横に滑りつつ読んでいてたまに、強い言葉にであうとどんっと衝撃がありますが、そういうのはあえて一呼吸おいて気にしない風にして通りすぎることにします。

生きづらいこともあるご時世ではありますが、俳句が作れている時点でそんなにもひどいことではないと思えるのです。なので強い言葉というのはそういう訴えだと思えるときは「そうだね」とうなづくだけで、あまりひっぱられないようにします。心から取り出した時点で気持ちというのはある程度昇華されているはずと思うので。

自分も衝撃的な言葉を練りこんでいることがあるかもしれませんが、そういうときはあんまりいい句ではないような気がしています。本当にその表現がぴったりする事態に遭遇したときに、言葉を使いすぎていたら効果が薄れるとか。

それで話を戻しますと。

オンライン句会で使われているシステムが「夏雲システム」というオンライン句会だったらこれみんなつかってるよね!というシステムなのですが

PDFで俳句が「縦」の方向になって見れる機能があります。

プリントアウトまでできればいいのですが、プリンターもコピー用紙も必要なのでない場合はとにかく、PDFで縦方向に配置された俳句を読むのがいいと思います。

頭への俳句の印象具合が変わります。

横読みするときよりも、谷読み部分へ降りていくときに降りていきやすいのです。

どなたか横読みにしたときと、縦読みでよんだときで「これがいい!と思った俳句がちがってみえたということ」を感じたという話があったら耳に届くといいなと思います。

あとはどんな句に素敵を感じてしまうんだろう、、というのとは別に俳句の世界にはいるためのキーワードにも目を光らせなければなりません。

まだまだ春の季語に親しんでいるとは言えないので、こういう季節ごとの句会で目をひからせたいのはまだ見たことのない季語や使ったことのない季語にめぐりあうことです。

夜に何かを書きだすと何がいいたいのかどうでもよくなってきますが、これは私的な俳句についてのつぶやき空間なので気にしないで進めます。

今回であった興味深い俳句の表現は「竹秋」でした。

ぱっとみ、竹って紅葉するんだっけということでした。

もしくは、秋の季節に特徴的な竹のはえている様子のことかなと想像しました。京都の嵐山の竹はたけばっかりで昔話の舞台のようなのであんな風景だったり。

さて、ここで問題です。

「竹秋」はなんとよむでしょうか、今一番ここでショックを受けているのは私に違いありません。

俳句用語というのは、俳句を知らない人を選別するための扉的なようそをいつももっていると思わずにはいられません。

今、「竹秋」が季語だということを知っている私は、俳句の世界の中にはいっていると思い込んでいましたがあっさりと扉がは一回転してもといた、俳句の外の世界に戻ってきてしまいました。

竹の秋なのだから、当然 「たけあき」と思いませんか? 中七 だって「なかしち」とよみます。(わたしとしては なかひち)

ところが、竹秋は「ちくしゅう」だそうです。

ちくしゅう、、

もし、「たけあき」ふうに読むほうが好みだという場合や、文字数の関係でなにかある場合は「たけのあき」と「の」をいれてみたらいいんじゃないでしょうか?

そして、4月の句会ということで今ここで見ることのできている作品は「春にちなんだもののはず」と何となく思っていたので、なんで秋なんだろうと思います。竹秋をあらためてみましたら、やはり「春」の季語でした。ではどうして竹秋が「春」なんでしょうか。

たけのこを山まで取りに行く人は、その時に竹の生えている山などをよく見ると思うので検討はつくとおもうのですが。竹の生えた山などがそばになく、竹の生えた山にいったことのあるのがうん十ねんも前の体験だったりするとそれももう役にたちそうもありません。

たけのこに栄養がいってしまって、竹の色があせて黄色っぽくなっているのが竹の秋と表現されているというのです。確かに子育ては大変!

季語の一つ一つに驚いて俳句の扉を出たり入ったりしているようでは、まだまだ俳句と親しくしていますというには道のりは遠いようです。

春の俳句となるとお花見や花びらの句で埋め尽くされてしまいそうですが、ぜひ「たけのこ」や「竹」を使った春らしい元気のある句も作ってみたいとおもうようになりました。

私が端っこでなんとか参加している俳句組織はものすごい歴史のある句会で「南風」といいます なんぷう です。

ここで、南風にゆかりの深い竹の句を一つご紹介します。

じゆうぶんに雨のそそぎて竹の春

              

鷲谷七菜子さん

当時大変人気のあった俳人だと思います。鷲谷七菜子さんです。

ここに「竹の春」とあるので、春の季節かなと思うのですが「竹」はちょっと身近に竹を知らない人からすると書いてある通りの季節ではないと()がきをしておくのがいいかなと思います。竹の秋が春の季語だということは「竹の春」というのは春の季語ではないのです。

春にたけのこが生えるときに、栄養がたけのこにいってしまうので、竹の色がすこし黄色になる様子が「竹の秋」。

たけのこが十分に成長したころに、竹のほうも夏の間に栄養をとって元気になります、そうすると秋ごろに青々とした竹になるのでそれを「竹の春」というのだそうです。秋の季語になります。

南風にはそのほかにも俳人として長らく活躍されている方や幅広い層の俳人の方が所属されています。

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