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俳号について思うこと~名前から浮かんでくる勝手なイメージについて&聖徳太子

俳句をはじめて一番ウキウキしたのは、俳号というのをつけるときでした。名前だけつけても俳句を作らなかったらなんにもならないんですけど、俳句を2年ぐらいしてみて気が付いたのは俳号にもいろいろなタイプがあるということ。名は体を表すという言葉もあるぐらいですから。俳句を始めるときにつける名前にはいろいろな考えが潜んでいるのではないかと思っていまう。俳句を人生の友としているような方に多くみられるのは、本名そのままもしくは、本名の一字をかえていて、その一字がエピソードを少し含んでたり文字の印象を考えている場合、や名前の部分をこだわりの名前に変えているところかなと思いました。そして時代によって流行り廃りもありそうということでした。超有名な俳人さんの名前だけしかしらないいまだから言える、俳号について思うこと言ってみます Lets’Go

松尾芭蕉 自然の色合いのような名前だと思った。

俳句といったら松尾芭蕉さんがでてくる。 この名前の中で気になるのは「芭」の文字である、もともとは「花」を意味する女性らしいイメージを持つ古い言葉なんだそうです。

水原秋櫻子 おもいっきり美少女な名前。

水原希子さんがでてきます。

このように、男性の俳人が名前をつけるときには女性性を自分にプラスアルファするような名前を付けることで男性という型から表現の世界においては女性性も含めるというバランスをとっているのかもしれない。

(ちょっと、ほかに有名な俳人の名前でてこないの? また今度思いついたらつづきかく)

そうそう、男性でおもいっきり名前に「子」をつける人はいるのは、きっと聖徳太子のせいだと思う。

水曜日のカンパネラ『聖徳太子』

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